【引退ブログ Vol.2】

布施慶馬(サーブル/経済学部/慶應義塾高等学校出身)

 

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山﨑、紹介ありがとう。戦友であり親友と思ってくれているとは嬉しい限りです。昔一緒に逆立ちやロンダートの練習をしようとしたことを懐かしく思います。

また一緒にやろうな。ロンダート。

山﨑とは大学に入ってから知り合った仲ですが、大学に入ってから知ったとは思えないぐらいすぐに仲良くなりました。びっくりするぐらい波長があったのを覚えています。

同じ授業をとった時は、授業の間で毎週1時間半暇ができるので、何をするでもなく陸上競技場をただ一緒に見ていましたよね。あれは我ながら狂気的な時間だった思います。それを一緒に楽しんでくれた山﨑にはほんとに感謝していますし、感覚が近いなあと思います。

山﨑は何といってもガッツがすごい。毎回練習では誰よりも声を出して勝とうとしている姿が印象的で、皆常に良い刺激をもらっていたと思います。大学からフェンシングを始めて全日本選手権個人戦に出場したことは本当にすごいと思いますし、尊敬しています。

今だから言うけど、山﨑のガッツは見習いたいなとよく思っていました。

残りの期間も一緒に頑張ろうな。

本題に入らせていただきます。

今の率直な気持ちをお伝えしたいと思います。

拙い内容ではございますが、お時間のある際に目を通していただけると幸いです。

 “全日本に出たい”

自分が大学フェンシングを行うにあたって掲げた目標だ。中学高校とフルーレを選択し行っていたので当然フルーレで全日本に出ることを夢見ていた。

そのために日々の練習や練習時間外でも先輩やコーチに付き合ってもらって練習を行った。

しかし現実は厳しく自分がいくら頑張っても届かないのではないか、そう思う程大学のレベルは高かった。目標としている全日本に出るための大会でその予選すら通れる気がしなかった。勝てる気がしない。ここまで挫折感を味わったのは人生初めてだった。

 そこで自分は大学2年の初めあたりからサーブルに転向してみたらどうなのだろうか、そう考え始めるようになった。

そのことを当時お世話になっていた先輩に相談すると、「布施は自分が思っているより強い、このまま努力すれば絶対結果は出る」そう言ってくれた。本当に嬉しかった。

しかしサーブルに挑戦したい。挑戦しなかったら大学を卒業した後絶対に後悔する。そう思う気持ちは日に日に大きくなっていた。

先輩の言葉と、自分の気持ち、これまで行ってきたことを変えることの不安など葛藤は毎日続いた。

あと3年もない部活人生をこのまま過ごすべきなのだろうか。

そう思い一番仲の良い同期に相談した。

「良いと思う。サーブル合ってると思う。」

彼女はフルーレから離れるかもしれない決断を応援してくれた。とても嬉しかったし、とても励みになったことを今でも覚えている。

そうして自分はサーブルの試合に出場することを選び、サーブルを始めることを選んだ。

 サーブルを始めて、常に新たなことができるようになっていく、しかしできないことがまだまだたくさんある。そんなわくわくするような感覚を、始めてから1年ぐらいはずっと持っていた。何も捨てるもののない自分は試合で伸び伸びのプレーすることができたし、その分結果もついてきた。目標としていた全日本個人戦の出場権もサーブルに転向してから半年程で獲得することができた。

 しかし、始めてから1年を経つ頃になってからはできないことはたくさんあるのにできることがあまり増えていない。そう思うことがかなり増えた。さらに目に見えて試合の成績が悪くなっていったことも自分が落ち込むには十分すぎる事実だった。

 “サーブルに移ったのは間違いだったのか、フルーレを続けるべきだったのか”

何度もそう考えた。

自分は成長していないと感じる中、後輩達の目覚ましい成長•活躍がとても嬉しい反面苦しかった。

これまで順調すぎるほど結果が出ていた自分は、心が怠け、努力を怠り、現状にあぐらをかいていたのかもしれない。今でこそそう思えるが当時の自分は何で結果が出ないのだろう、何が違うのだろうとただただ焦り、周りの期待を裏切って見放されていっているような感覚に陥っていた。3年の秋シーズンのことである。

“ラスト1年頑張らないと後悔する”

“期待してくれた方をもう裏切れない”

この言葉を胸に、大学の試合でベスト8に入ることを目標として日々の練習、トレーニングを行った。自分は口下手であまり後輩に何かを教えることは向いていないが、自分が毎日練習に出て頑張っている姿、それが結果に繋がっている姿を見せたいと思った。

そうして始まった春シーズン。3年の秋シーズンが良くなかったため緊張して臨んだ試合だった。結果全日本の出場権は獲得したもののベスト8に入ることは叶わなかった。権利を獲得し安心したが勝てる相手に勝ちきれずベスト32にいたことがとても悔しかった。

“秋シーズンで絶対結果を出してやる”

もう試合は今年しかない。前を向き続けるしかないと腹を括った。

そして迎えた秋シーズン。

全日本個人戦から始まった秋シーズンの出だしは良くなかった。後がない自分はそれはそれとして分けて考え次の大会に気持ちを向けた。

どれも中途半端な結果の中、シニアの大会で1度、思っている以上の成績を出すことができた。単純に嬉しかった。これまでの努力が実ったと思えた。

そして大学の大会で最後のインカレではベスト8に何が何でも入ってやる。その思いで当日を迎えた。

 結果は目標には程遠いもので、ものすごく悔しくてたまらなかった。

その日の終わりに団体戦のメンバー発表が行われて、秋シーズンの結果が評価されたのかメンバーに選ばれることができた。

“もし出ることがあったら120%を出し切る”

個人戦の悔しさからも団体戦で出ることができるなら絶対に結果を出してやる、そう意気込んで当日を迎えた。

コーチの采配によって、1試合出してもらうことができた自分はもてる全力を出し切った。 

その試合では自分が負け続けていた相手に勝つことができて、とても嬉しかった。そして期待してくれたチームの皆、応援してくれた皆、監督、コーチが喜んでくれている姿が何より嬉しかった。

残るは早慶戦。

自分が出るかはわからない。これまでのチームの皆への恩、応援してくれた人のためにも残りの時間頑張らなければならない。皆にいい影響を残すために。できることは多くない、残された時間も多くない。ならば数少ないできることを全て出し切ろうじゃないか。

やるしかない。

最後に、

これまで指導•応援していただいたコーチ、監督の皆様本当にありがとうございました。

長い間フェンシングのことだけでなく、人としてたくさんのことを学ばせて頂きました。

特に小林さん、澤田さんにはたくさんの指導をして頂きました。覚えの悪い自分だったと思いますが、少しでも期待に応えることができているならば幸いと思います。

先輩、同期、後輩の皆へ

いつも一緒に練習してくれてありがとうございました。皆の気持ちのこもった練習がいつも自分を刺激し、心が折れそうな時でも奮い立たせてくれました。

辛い時も楽しい時も苦しい時も嬉しい時も全て共有して過ごしていた時間は、自分にとって本当に貴重な宝物です。本当にありがとう。

これからもどうぞよろしくお願いします。

それではお待たせしました!

次は高校、大学の間で髪の長さが誰よりも変化した加賀くんです。

高校フェンシング部から同期の彼は同期の人数が少ないこともあり高校1年の頃から仲良く話していたと思います。彼は、当時鬼滅の刃がまだそんなに知られていない頃、僕が同期に布教し、皆読んでいた鬼滅の刃を頑なに断り続けていました。僕が勧めているというだけで読まなかったのです。

そんな意固地野郎の加賀くんですが、サーブルチームについてはどうすべきか、どうしたいかを沢山考え、皆を盛り上げながら自分のスタイルも貫いている熱い漢です。そんな彼のブログをとくとご覧下さい!